2008年08月29日

利己的な愛

「愛」というものが人間の本質である「利己主義」から
生まれるのは理解して頂いたと思うが...


それを述べる前に、一つ補足しなければならない。

争いを防ぐ為に必要なものは「哀れみ」や「同情」には違いないが
もう一つ大事な要素を忘れていた(笑)
良く考えればこれが人間にとって本来最も重要な事かも知れない。
それが「感謝」である。

全ての人間が「感謝」の心を忘れなければ争いのきっかけは
少なくなるのではないか。

さて本題に戻って「愛」では地球を救えない、と述べた。
「愛」は「利己主義」の産物であると。

そもそも「愛する」と言う言葉は現在では人間同士の感情表現
に使われているが、本来の意味は
人や物を「愛でる」と言う事である。

「愛でる」と言う事は人や物を見た時、その対象の良さを認め
心豊かになる事を言う。


勿論「愛でる」本人にとっての利己的感情である。

よく「愛」は与えるものだとか言われているが、本当は与えたり
奪ったりするものではない。

それが現在では、人間間において「愛」を勘違いして使うから
「愛」を与えすぎて「愛情の押し売り」となり「執着」と言う
醜い事態となったり。
「愛」を欲しがって「嫉妬」へと発展する。

私達が「愛」を本来の意味で使っているのが「ペットに対する愛」
であろう。

何の見返りも望まず、ひたすらペットの存在を喜ぶ。
(尤も、ペットを子供代わりに飼う人の愛は少し違う気がするが)

「愛する」と言う行為、感情が「愛でる」と言う本来の
使われ方をしておれば、例え利己的な「愛」であろうと
地球を救う原動力になるかも知れないが、私達が日常使っている
「愛」では、先に述べたように決して掬えないだろう。

聖書では「汝の隣人を愛せよ」とある。
しかし良く考えると、「愛する」「愛でる」と言う感情が
沸くのは、それが他と違っているからで、何でもかんでも
全てにそう言う感情を抱く人間は「頭がおかしい」と言われる
はずである。

まして「汝の敵を愛せよ」に至っては十字軍で相手を殺しながら
まことしやかに説教していたのだから、笑えるものがある。

「愛」と言う言葉は使いようによっては例えようも無く美しく
響くが、実は全てを美化して本質を見失わせる言葉でもある。

この「愛」と言う言葉を巧みに操りキリスト教は繁栄した、
世界の宗教で「愛」を教えているのはキリスト教だけである。

次回はキリスト教も含めた「神」の存在について考えてみたい。



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posted by T−Rex at 20:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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